2009年6月16日火曜日

宇都宮清原球場と夏の大会

久しぶりに早い時間に帰宅。
テレビをつけると読売ジャイアンツ対埼玉西武ライオンズの中継が放送されていた。

見慣れない球場だなぁと思いながらも、どこか見た事がある気がする球場。
すると宇都宮清原球場であることがわかった。

小学生のとき、宇都宮清原球場へ3回ほどプロ野球観戦に連れて行ってもらった。
読売ジャイアンツと西武ライオンズのオープン戦。
それと、横浜大洋ホエールズと阪神タイガースを2年連続で。

まだ、読売ジャイアンツの原辰徳監督や阪神タイガースの真弓明信監督、
福岡ソフトバンクホークスの秋山幸二監督が現役選手だった頃の話だ。

中学生になった私は野球部に入った。
3年生の時の夏の大会。1回戦は河内中学校との対戦だった。

会場は、宇都宮清原球場。

私がその大会でつけていた背番号は12。
レギュラーの番号ではない。

打撃にはそれなりに自信があったが、
守備が滅法下手で、それまでも練習試合では散々チームに迷惑をかけていた。

春の大会では正二塁手の番号である4をつけていたため、
簡単にいうとレギュラーを剥奪された格好だ。

河内中学校とは、2年生の新チームになってから何度も練習試合で対戦しており、
私が通っていた泉が丘中学校は負けたことがなかった。
だから、この試合も部員は緊張はしていたけれど、胸中はすでに2回戦のことばかり考えていた。

監督(先生)からスターティングメンバーが発表された。
「6番セカンド石川学」。
スタメンはないと思っていただけに、本当にビックリした。返事が半歩遅れた。

試合開始直前、ノック(守備練習)を受けるため二塁手の定位置についたときの興奮は忘れられない。
「自分は、あの篠塚、辻、岡田と同じ景色を見ている」と。

その試合、河内中学校のエースの力投でチームは負けた。
私自身も2打数2三振と散々な結果だった。

中学生の試合は7回で終わりとなる。
つまり、6番打者の私の3打席目が回ってこないほど、相手投手に完全に抑え込まれたのだ。
気迫がボールに乗り移るというのはああいう状態をいうのだろう。
ボールがホップして見えた。本当にすごい投球だった。

チームにとって、これが初の1回戦敗退であった。

大会で負けると、思わず涙がこぼれる。
涙がこぼれるというより、込み上げてきた悔しさが涙になって出てくるといったほうが適切だろうか。

しかし、その試合終了後、チームで涙する者はいなかった。
皆、一様に呆然としていた。

「河内中学校に負けた」「一回戦で負けた」
その現実を受け入れることができなかったのだ。

4 件のコメント:

  1. 中学のときの部活の思い出って結構強烈だよね。

    おれテニス部だったけど、下手だったからなぁ。
    個人戦なんかよく一回戦で負けてたよw
    団体戦はみんなの足をよく引っ張ったし…。

    それでも個人戦より団体戦のほうが好きだったけどね。
    3年の練習試合のとき、団体戦メンバーから一回外されたことがあったんだけど、あれは悔しかったなぁ。負けるより悔しかった。

    土俵に上がれない悔しさっていうやつだね。

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  2. あ~分かる
    俺もよくバンドのメンバーからクビって言われたよ

    っていうかあまり部活行ってなかっ;ltくおいおいvfr

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  3. >俺もよくバンドのメンバーからクビって言われたよ

    あれ…。そういやおれもよく言われた記憶が…。
    もしかして黄色い家の雀荘によく行ってませんでした?

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  4. あ!あの硬岩家のことですか!?
    いや僕は行ったことがありませんし関係ないです!
    N里さんはもしかして、よく冷蔵庫(4枚)とか運んでました?

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