お互いの誕生日を2人で祝うというイベントもすっかり恒例行事となり、
気がつけば10回目になっている。
中ちゃんはよく「あんたに出会ったせいで、オレの人生台無しだ」と言ってくれるが、
私の人生において、中ちゃんに出会ったことによる不幸は負けていないと思っている。
いきなり大げさな話になってしまうが、
人間が生きる上での楽しみの1つはディスカバリー(discovery、発見)だと思っている。
逆に、ディスカバリーのない人生ほどつまらないものはないのではないか、とも考えている。
旅はdiscoveryの典型例の1つだ。
自分が訪れたことがない場所があることをdiscoverし、
その地を訪れることで、風土、文化、言語の違いをdiscoverする。
だから、旅は楽しい。
他者との会話・コミュニケーションもそうだ。
自分と違う人生を歩んできた他人と会話を通して、
違う価値観・考え方をdiscoverする。
自分がまだ経験したことのない幸福や不幸をdiscoverする。
好奇心、向上心、向学心もdiscoveryだと思う。
読書でも音楽鑑賞でも何でもいい。
自分が知らなかったことを知ったときの驚きや喜びはdiscoveryだ。
そして、学び、自分でできるようになったときの喜びもまた、新たな自分を発見するということだろう。
私は中ちゃんから1つ、discoveryの機会を奪われている。
ベーシスト(楽器のベース奏者)のdiscoveryだ。
音楽を好きになると、また、自分で演奏を始めるようになると、
まだ自分が知らない名曲、名演奏者(バンドも含む)、名楽器を知りたくなる。
そして、それをdiscoverしたときの喜びは大きい。
まさに宝探しに近い感覚だ。
私は、The Beatlesにハマったことによって演奏活動・バンド活動を始めた。
だから、ベースというものを初めて意識して聞いたのが、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)になる。
ベーシストのdiscoveryという観点でいうと、最初にして最上を知った。
そして、次に知ったベーシストが中ちゃんだ。
中ちゃんとは、別々の中学校に進学し、お互い野球に打ち込んだ。
その間は実家が近くにあるにもかかわらず疎遠だった。
そして、野球部を引退し、時間がお互いにとれるようになったところで再度交友を始めたところ、
中ちゃんはいきなりベーシストになっていた。
それ以来、中ちゃんより上手いベーシストに会ったこともなければ、聴いたこともない。
アマチュア、プロ、様々なライブやCD・DVDを通して、
この人は上手いと思えたのは、上記2人を除くとウィリー・ウィークス(Willie Weeks)くらいだ。
中ちゃんというベーシストを知らなければ、
宝探しのような感覚で、
もっと多くのベーシストと一緒に演奏してみようかなと思えたのかもしれない。
しかし、中ちゃんというベーシストを知っている以上、
私の宝探しは終わってしまっているのだ。
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