2009年11月10日火曜日

ボトムアップとトップダウン

あるブログを読んでちょっと気になった一文がある。

ボトムアップ社会であった日本の構造が根底から変わり始めています。
一体いつの時代、日本の社会はボトムアップだったのだろうか。

そのブログの前後の文脈からすると、
第二次大戦後の教育や企業活動について言及していると思われるのだが、
だとすると、なおの事、「ボトムアップ社会であった日本の構造」という言葉に違和感を覚える。

個人的な見解は真逆。
戦後のトップダウン社会から、
生活に(金瀬的な面で)ゆとりができるにしたがい、ボトムアップ社会の風潮が見えてきた中で、
バブル経済の崩壊により、「より強烈なトップダウン型社会(カリスマ型とも言い換えられる)」と、
「みんなの知恵を合わせるボトムアップ型社会」が緩やかに混在しつつ、
今般のリーマンショック以降の不況で、それが完全に二極化している状況だと思う。

日本は第二次大戦後直後からバブル経済直前くらいまでは、
強烈なトップダウン社会であるように思う。

特に企業活動においては、軍隊さながらの厳しい上下関係が存在した世界だ。
一例として、以前NHKで放送されていたプロジェクトX~挑戦者たち~の第106回、
水野組(現五洋建設)にスポットを当てた「爆発の嵐 スエズ運河を掘れ」を見ると、
当時のマネジメントがどのようなものであったのか、その一端を垣間見ることが出来る。

バブル経済真っ只中にあっては、
CMを覚えている人も多いだろうけど「24時間戦えますか」の世界だ。
「今日より明日、生活が豊かになることがなんとなく約束されている社会」において、
上位下達であっても、それに疑問を持たないことが、自身の生活の向上につながった。

言い換えれば、トップダウンなのではなく、
ボトムがだんまりを決め込むことで事が上手く運ぶ「受身型のトップダウン」とでも言えばいいだろうか。

それが、バブルの崩壊、米国発のネットバブル、グローバル化の進展という順を追い、価値観が激変した。
特に企業活動においては、生き残りをかけ、トップがより豪腕を振るうカリスマ型経営ともいうべきトップダウンと、
みんなの知恵をあわせていこう型のボトムアップに分かれたように考えられる。

終身雇用は崩壊し(最初から終身雇用など幻想なんだけれど)、人材の流動化が活発化。
年下の先輩・上司、年上の部下がありふれた光景になる中で、
多くの人が薄々感じていたことをまとめてくれた「フラット化する世界」という書籍が売れるなど、
社会も組織もどんどんフラットになっていった。

組織のフラット化というと、ボトムアップの代名詞みたいによく言われるが、それは半分正解半分誤りだ。
確かに、組織ピラミッドの高さは下がり、現場の意見はトップへ通りやすくなるかもしれない。
しかし同様に、トップから見ても現場の距離は近くなり、もっとトップダウンを発揮しやすい環境になっているのだ。

随分と長い文章になってしまったけれど、
そのブログを書いた方は、どのような認識から日本がボトムアップ社会という考えに至ったのか聞いてみたい。

2 件のコメント:

  1. ボトムアップという言葉で、日本企業の複雑な決裁行為を連想しました。

    教育水準が先進国に追いつくまで、組織運営は一部の識者によるトップダウン運営に
    頼らざるを得ないと思うんだが、その前提に立つと、やっぱり戦後しばらく(バブル期はよく分かんないけど)
    はトップダウンが実情だったと思うけどね。

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  2. 農民から関白になった人がいたときだと思います。

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